「宗教」と聞くと、過剰に警戒する人もいれば好奇心を刺激される人もいますが、そのどちらもが多くの場合、宗教に関して何らかの先入観を持っています。宗教学の教育は、何よりも「宗教」という言葉自体に対して皆さんが知らず知らずのうちに抱いている思い込みを揺り動かすことから始まります。その共通のスタート地点から、具体的に何を研究していくかは、一人ひとりの興味関心によってさまざまに分かれます。日々ニュースとして飛び込んでくる、宗教をめぐる国際情勢や時事問題を分析しようとする学生もいれば、古代や中世に書かれた宗教書をじっくり読もうという学生もいます。地方の祭りや寺社の調査に赴く学生もいれば、同年代の若者の宗教意識をインタヴューから探ろうという学生もいます。それぞれの発見を持ち寄るのがこの研究室という場です。学生の多くは、宗教学に進学するまで、宗教について特別に関心があったわけではないという人たちです。それでも卒業する時までに身についているのは、宗教の歴史や文化に関する知識は言うまでもなく、現実に即した、なおかつ多角的な宗教の見かたです。それはよく耳にする「宗教は根本ではみな同じだ」や「一神教と多神教は文化が正反対だ」といった単純化ではない、リアリティに迫るための宗教比較の視点です。そのような見かたができる人を一人でも多く社会に出していくことがこの研究室の役割です。
キリスト教や仏教などの宗教系の大学を除くと宗教の研究に特化した学科やコースを設置している大学は少なく、また、あらゆる宗教を多様な方法を用い総合的に研究することを謳っているところはさらに稀です。それを可能にしているのは、1905年以来の伝統、多彩な専門をもつ教員陣、全国随一の宗教学関連書籍の蔵書量です。仏教学、イスラム学の研究室が隣接していることも大きな強みです。1958年に国際宗教学会の世界大会を非西洋諸国で初めて開催したのですが、その時の事務局の中心は本研究室。海外からの学者のために企画した、“おもてなし”精神たっぷりの宗教施設ツアーのしおりなどが残っています。以来、国際交流も盛んです。
半世紀前、研究室の教員の一人、柳川啓一は、「宗教学はゲリラである」と宣言して周囲を驚かせました。細かい作法(専門分野=ディシプリン固有の方法の手続き)に縛られず、権威を笠に着ることなく、知的刺激を求めて突き進むという気風は今も生きています。